2021年01月15日

エッセイ

整理をしていたら、2019年に、俳句の「藍生」に出した文が出てきました。
じぶんの思いを書いていました。
お時間があるときにでも、読んでいただければうれしいです。


   俳句への思い            はたちよしこ

  祖母は秋風なんかと暮らしていた   はたち

祖母は104歳で亡くなった。亡くなってもう十数年
になる。祖母が生まれたのは奈良。実家は忍辱山で円成
寺との地続きのところだった。円成寺には運慶作の像が
あり、今では多くの人に知られている。しかし以前は、
人もほとんど来ない不便なところだった。そして、実家
はいまはない。祖母の甥の子が家を継いたが、若くして
亡くなり、家はしかたなくお寺に買われた。しかし私に
は古い家や母とよく似た祖母の兄が浮かぶ。祖母は結婚
してから、いろいろあったらしく、母子で奈良を出て神
戸で暮らしてきた。それ故、私は祖父には会ったことが
ない。ただ、乗馬姿の写真が一枚残っている。祖母はき
れいな人だった。104年という年月は長い。祖母はな
にを思っていたのだろうか。私の記憶では、いつも裁縫
をしていた。パッチワークの布団、浴衣、人形いろいろ
な物を作っていた。ある時、結婚していた私の家に遊び
に来てくれた。以前、私は東京の小平市の史跡という屋
敷の離れを借り上げ社宅として借りていたことがあり、
祖母と母が遊びに来てくれた。すでに深い秋だった。祖
母は家に着くなり、落葉がいっぱいの広い庭の掃除を楽
しそうにだしてくれた。そのときのうれしそうな祖母の顔
が浮かぶ。奈良を思い浮かべていたのだろうか。落葉は、
あるとき心に込み上げてくるほどなつかしいものを思い
出させることがあるのだろう。この句を、黒田杏子先生
に選んでいただいたことを幸せに思っている。

以前の事だが、私は原稿を書くとき机の上で鉛筆で書
いていた。しかし、今はパソコンを使っている。パソコ
ンの奥には深い森があり、私はそこを彷徨っているので
はと思いながらだ。そして、そばに丸い手のひらほどの
石を置いている。私の好きな石だ。石の真ん中には白い
細い滝がながれている・・。私はこの石を、猫を飼って
いたときの動物病院の医師からいただいた。そしてお話
しをしていて、氏が「水石会」という会に入っておられ
るのを知った。
 「水石会」とは、自然石の美しいものを見つけ出すと
いう会で、正確には、会では「抽象石」と呼んでいる。
抽象石とは定型化されない、山水美にとらわれない、文
学でいうと、俳句の世界に通じる石というものだといわ
れた。そして、氏が出版されている「抽象石の美」とい
う写真集をみせていただいた。石のほとんどは、手のひ
らにのるほどの大きさで自然を思わせるものだった。そ
して、その一つひとつにそれぞれ名が付けられていた。
氏と話していた治療室、窓から差し込む光はにぶく、
いくつか置かれている石に当たっていた。そして、氏が
「多くの人は、石を立派な台にのせて飾っているが、私
は石は自然のままでいいと思う。それは、俳句の世界に
も似ているかも」とおっしゃったのが忘れられない。
 私はこの抽象石が、氏がいわれたように俳句の世界の
表現であり、全く妥協のないといえるものに通じている
のだと思えてならない。
 事実、抽象石を探すにも、長年のくりかえしの中、や
っと佳石に出会えるのだといわれる。しかも稀にである。
何百回の採石の結果、はたして自信のある佳石がどれだ
け手元に残るかというものらしい。見つけ出すこと、そ
れは創作することに似ているのかもしれない。自他共に
佳作というものをいくつ書けるだろうか。億年を蔵した
石。句や詩という原石を、私は自分の中に探り、作り出
していかなければ、その努力のような気がする。

私は駅が好きである。知らない場所にいくための玄関
と言った人がいるが、そうかもしれない。旅なら目的地
というより、そこまでの路線に引かれていくことがある。
それは子どもの時からかもしれない。駅の場面が好きだ
った。『アルプスの少女』のフランクフルト駅、『アンナ・
カレーニナ』のクリン駅、『点と線』の東京駅。東京駅で
は東京ステーションホテルから駅をみながら執筆したと
いう川端康成や松本清張。駅に人はなぜ心引かれるのだ
ろうか。
一時は、駅だけでなく廃線にも心惹かれ訪ねた。錆び
た線路、水の滴るトンネル。かと思えば、家の前の廃線
を花壇に使っているところもある。風の中に立っている
と、列車の走って来る音が聞こえる。それは、過ぎ去っ
て行ったやさしい音でもあり、再び心の中にやってくる
ような音にも思える。宮脇俊三『七つの廃線跡』や舟越
健之助『鉄道廃線跡季候』を読むといっそう感じる。そ
こにも句の思いを感じた。それは、私を俳句の世界に連
れて行っていってくれるのだろう。俳句に出会えたこと、
いろいろな思いの中に、広い共通点を見つけられたこと
は、黒田杏子先生のおかげだと心より感謝の思いでいる。


posted by YH at 18:24| Comment(0) | 日記(途中下車) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月05日

詩「切符」

   明けましておめでとうございます。

良き新年をお迎えのことと思います。
今年は、静かなお正月でした。
でも、拾った枝の梅の花が、いくつも咲いてくれています。

お年賀状、ありがとうございました。
楽しく読ませていただいております。
今年は、お会いしたい方が多いです。

きょうは、百人一首を出して、
歌を見ていました。大方を覚えていますが、
下の句からは、むずかしいです。

そして、
お天気が続きますので、散歩です。
毎日、3,4キロほどですが、楽しんでいます。
梅の枝を拾った大本のところは、
花が満開です。

今年は、オリンピックの年ですね。
コロナが治りますようにと願っています。



  切符      はたちよしこ

寒い駅まえで
道行く人に 梅の一枝を配っている
梅咲く地への 旅の誘いらしい

わたしも いつかと 
つぼみの一枝をもらった

そして
改札を通りぬけようとしたとき
つぼみが ぱっと開き 
咲いた
一瞬 確かに
花びらの開く音をきいた

きっと 梅は 
じぶんの切符を みせたのだろう
春への切符を




posted by YH at 18:40| Comment(2) | 日記(途中下車) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月31日

今年もありがとうございました。

このブログをはじめて12年になります。
長いような、あっという間に過ぎてしまったような気がします。
読んでくださる方を感じながら、
続けて来られたのだと思います。

ブログは、
私には、そっと、希望の入り口を
くぐるような気持ちでした。
楽しいひとときを、ありがとうございました。

今年も、まもなく終わろうとしています。
ささやかなブログですが、
どうぞ、時間がおありに折りには、
来年も、お訪ねくだされば幸せに思います。

2021年が、皆さまに良いお年でありますように。

posted by YH at 19:00| Comment(2) | 日記(途中下車) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする