2019年03月16日

NAOTのリトルストーリー  

昨年4月から、一年間、
「風の道を」のリトルストーリーの詩を、書かせていただきました。
3月の最後です。

毎号、楽しい絵を描いていただいた安福 望さん
ありがとうございました。
ずっと 大切にさせていただきます



https://naot.jp/blog/2019/44459



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2019年03月13日

俳句への思い・・・続き

「俳句への思い」続き
3回に渡り、長い文を読んでいただいてありがとうございます。
これが 最終です。



私は駅が好きである。知らない場所にいくための玄関と言った人がいるが、
そうかもしれない。
旅なら目的地というより、そこまでの路線に引かれていくことがある。
それは子どもの時からかもしれない。

物語の駅の場面が好きだった。
『アルプスの少女』のフランクフルト駅、
『アンナ・カレーニナ』のクリン駅、『点と線』の東京駅。
東京駅では東京ステーションホテルから駅をみながら執筆したという
川端康成や松本清張。
駅に人はなぜ心引かれるのだろうか。

一時は、駅だけでなく廃線にも心惹かれ訪ねた。
錆び た線路、水の滴るトンネル。
かと思えば、家の前の廃線を花壇に使っているところもある。
風の中に立っていると、列車の走って来る音が聞こえる。
それは、過ぎ去って行ったやさしい音でもあり、
再び心の中にやってくるような音にも思える。
宮脇俊三『七つの廃線跡』や舟越健之助『鉄道廃線跡季候』を読むと
いっそう感じる。
こにも句の思いを感じた。
それは、私を俳句の世界に連れて行っていってくれるのだろう。
俳句に出会えたこと、
いろいろな思いの中に、広い共通点を見つけられたことは、
「藍生」のおかげだと心より感謝の思いでいる。





posted by YH at 10:34| Comment(2) | 日記(途中下車) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月09日

俳句への思い・・・続き

前回の、俳句への思いの続きです。
まだ 途中の長いものですが、ゆっくり読んでいただければ、
うれしいです。




以前の事だが、私は原稿を書くとき机の上で鉛筆でいていた。
しかし、今はパソコンを使っている。
パソコンの奥には深い森があり、私はそこを彷徨っているのではと思いながらだ。
そして、そばに丸い手のひらほどの石を置いている。私の好きな石だ。
石の真ん中には白い細い滝がながれている・・。
私はこの石を、猫を飼っていたときの動物病院の医師からいただいた。

そして、お話しをしていて、氏が「水石会」という会に入っておられるのを知った。
「水石会」とは、自然石の美しいものを見つけ出すという会で、正確には、会では「抽象石」と呼んでいる。
抽象石とは定型化されない、山水美にとらわれない、文学でいうと、俳句の世界に通じる石というものだといわれ、
氏が出版されている「抽象石の美」という写真集をみせていただいた。
石のほとんどは、手のひらにのるほどの大きさで自然を思わせるものだった。
そして、その一つひとつにそれぞれ名が付けられていた。

氏と話していた治療室、窓から差し込む光はにぶく、いくつか置かれている石に当たっていた。
そして、氏が「多くの人は、石を立派な台にのせて飾っているが、
私は石は自然のままでいいと思う。
それは、俳句の世界にも似ているかも」とおっしゃったのが忘れられない。

 私はこの抽象石が、氏がいわれたように俳句の世界の表現であり、
全く妥協のないといえるものに通じているのだと思えてならない。
 事実、抽象石を探すにも、長年のくりかえしの中、
やっと佳石に出会えるのだといわれる。しかも稀にである。
何百回の採石の結果、はたして自信のある佳石がどれだけ手元に残るかというものらしい。
見つけ出すこと、それは創作することに似ているのかもしれない。
自他共に佳作というものをいくつ書けるだろうか。
億年を蔵した石。
句や詩という原石を、私は自分の中に探り、

作り出していかなければ、その努力のような気がする。




posted by YH at 18:38| Comment(2) | 日記(途中下車) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする