2012年05月30日

たんぽぽの時間

たんぽぽの時間   

花のあと しっかり閉じ
ふたたび じぶんを解きほどいたとき 
飛び立つじゅんびが出来ていると
たんぽぽの身の上話をきいた

たんぽぽの静かな時間を知った



「ノート」より

久しぶりに、古い「詩学」(詩学社)を取り出し、ぱらぱらと。
何冊かに、載せてもらった自分の詩、いま読むとはずかしい気がしましたが、

1992年の8月号小特集「忘れ難い詩のシーン」に私のエッセイを見つけました。
「美しい夕焼けも見ないで」と吉野弘の有名な「夕焼け」についてですが、
後半、母のことを書いていて、思わず目頭が熱くなりました。

――《略》吉野弘の作品は送り手一辺倒ではなく、読み手のそれぞれの思いにゆだねています。
  半年まえのことです。七十を過ぎ一人暮らししている私の母が、故郷から遊びにきました。母が来たら、こうもしてあげようと、いろいろ考えていたにもかかわらず、自分の日頃のペースの中で、思うことの半分もできないばかりか、母のグチ話さえゆっくり聞けないまま、帰る日が来てしまいました。それでも母は「楽しかった」と繰り返し言っていました。そんな母を新幹線まで見送り、自分もひとり帰りの電車に乗りました。
席に座ると、母にできなかった後悔に、ただ、ぼんやり座っていました。
 これは「夕焼け」の詩とはまるで違うシーンです。けれど、この時も私は「夕焼け」の詩を思い浮かべていました。(略)


もう、20年前です。その3年後、阪神淡路大震災、そして、6年後、母は亡くなっているのですね。これを書いた時は、平穏だったのですね。

posted by YH at 09:55| Comment(2) | 詩(家族の風景) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。

私も「夕焼け」を読むといつも涙がこぼれます。
何度読んでも同じです。

    _____ 
 
  固くなってうつむいて
  娘はどこまで行ったろう。


ここまでくるともうだめです。

たぶん この娘と重なる
もう一人の愛しい娘を知っているからでしょうね。

そして・・・

たんぽぽって 
花のあと 
しっかり閉じて 
花だった自分にけじめをつけ
しぼんだままで次の準備をするのですね。

枯れてしおれるのではなく
種をつけて
落下傘になって飛ぶのですね。

旅立ちの日は
風がそよぐいいお天気の日を
ちゃんと自分で選んだりして___

昔 むかし
たんぽぽ摘みが楽しくて仕方なかったころ
父に教えられて新鮮だったあの驚きを
また思い出させていただきました。

なんだかとてもうれしいです。
ありがとうございました。

  
 
Posted by もあママ at 2012年05月30日 17:00
もあママさん
お元気ですか。
コメントありがとうございます。

今年、はじめて、
たんぽぽは、どのようにしてわたげになるのだろう
いままで、なぜ、
この不思議に気付かなかったのだろうって思いました。


そして、
枯れていると思っていたのが、
わたげになろうとしていたことを知りました。

咲いてから、1ヵ月だそうです。
わたげって、よくみると、
ほんとにきれいなのですね。

私たちのまわりには
きれなものが、あるのですね。
夕焼け・・・
そして、
お嬢さんのこころ・・・

気が付かないできたこと
いっぱいあると気づきました。

どうぞ お元気でね。

Posted by はたち at 2012年05月31日 09:19
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