2012年09月14日

ふしぎな字

ふしぎな字 

「ぼ」という字を書こうとして
「ほ」に てんてんを3つもつけてしまった

まちがえた! 
こんな字はなかったね
でも あってもいいな

風の足おと
きつねのくしゃみ
樹の話し声

わたしだけの字
こっそり 使おう!



「ノート」より

ときどき、眠れない夜、
子どもの頃を思い出してみることがあります。

かくれんぼや、おにごっこをしていた土っぽい匂い。
好きでなんとなくすわっていた石段。

夏の氷屋さん。 ノコギリでごしごし氷を切っていた。
透明な氷が、ノコギリのそこだけ真っ白な粒が飛ぶのを拾った。

駅のくつ磨きの少年。

頼まれた家の前の道で、畳を縫う畳屋さん、上下に動く太い針、そばで見ていた。

白い服の戦争負傷者の方が弾くアコーデオン。

汲み取り式トイレから、桶に汲み取り、運んでくれる人
母はお礼を、半紙にていねいに包んで渡していた。
私も、ときどき渡すのを手伝った。

かって、私たち子どもは、
大人のかけがいのない仕事、生活をみていたのですね。

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2012年08月20日

路地の時間


路地の時間                

子どものころ家の近くの路地に、紙芝居屋さんが来た。
子どもたちを集める拍子木の音がすると、子どもたちは
走って行った。紙芝居屋さんは自転車で来る。後の荷
台には引き出しのある木箱を乗せていて、中には紙芝
居と売り物の飴などが入っていた。
紙芝居屋のおじさんは、特に優しいわけでもなく、い
つも淡々としていた気がする。ただ、紙芝居をする声は
地に響くように強く低く、いろいろの役柄の声色に引き
こまれていったのを憶えている。
 紙芝居屋さんは一日を、路地から路地へ動いていた。
戦後数年の日本中の大方が貧しかった時代。けれど、
路地には子どもの居場所があった。紙芝居だけではない。
ゴム飛び、石けり、夏の夕闇に紛れてのかくれんぼ。
 それは、路地がもっていた時間の中にいたのだろうか。
路地が子どもたちにくれた時間だろうか。あの路地は
もうない。長い時が過ぎたいま、夏の夕闇に、ふと、
路地の時間を思ってみる。



「ノート」より

最近、子どもからあそび唄を教わりました。

でんでらりゅーば
でてくるばってん
でんでられーけん
でてこんけん
こんこられんけん
こられられんけん
こーん こん

片方の手の平らを広げ、もう片方の手で、
始めは、げんこつ、次は親指、中指と人差し指の2本、
小指と人差し指と親指の3本を、順に乗せて動かしていくのです。
早いほどいいのです。
唄も手の動きもおもしろくて、すっかり心引かれ、
日々せっせと練習して、やっと歌いながら、少し早くできるようになりました。
子どもの時なら、もっと早く??

あそび唄は、その土地、その時代の人々の暮らしや、思いがあり、
興味深いですね。
絵描き唄も、たのしいですね。


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2012年02月17日

ぶらんこ

ぶらんこ

――もっと つよく
  空まで おしこんで!
おとこの子がさけんでいる

おかあさんは
おもいっきり背中をおしている
風が来ている

そばを 通り過ぎてから
ふと ふりかえると
母子はいない
ぶらんこはまだゆれている

ふたりは
空へ入っていったのだ

おひるごはんには
もどってくるつもりで


『いますぐがいい』(長崎出版)

子どもが小さかった時、
「公園めぐり」というのをしました。
家の近くの公園を、つぎつぎに回ってあそぶのです。

公園に着くたびに、
子どもは、わあ〜 ところげそうに走っていきました。

どの子も、いくつまでこんな風に、走っていくのでしょう。

でも、ひたすら走った気持ちがあったこと、素敵ですね。
ずっと、わすれないでいたいですね。
私も子どものとき、そうだったように。

家のそばの、やがて、さら地にされる雑木林で
梅の花が咲いています。


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2012年02月04日

下敷き


下敷き        

小学生の時、休み時間に下敷きで遊んだ。
鉄粉をのせ、裏から磁石で動かすと、いっせ
いに風に流れるように動いた。何度しても楽
しかった。冬には腕の間に挟み、こすっては
静電気をおこし、髪の毛を逆立たせた。授業
中、後ろから友達の髪の毛にもいたずらした。
らくがきもしたけれど、時どき、お風呂でピ
カピカに洗った。
けれど、六年生のころから、下敷きを使わな
くなった。「ノート」にそのまま書けるのが得
意だった。大人になった気がした。

あの下敷きは、どうしてしまったのだろう。
もう一度、会いたい。


「ノート」より

昨日は、節分。
豆撒きをしました。
どこからか、父子の大きな声が聞こえてきました。
いつか、その子がお父さんになって、子どもと豆撒きをする日が
きっと来ますね。

今年は、姉の喪中で、年賀状は失礼いたしましたが、
多くの方が、寒中お見舞いのお葉書をくださり、
驚きと、感謝でいっぱいでした。
もちろん、喪中以来、お会いする機会やお話する折のなかった方です。

喪中のとき、寒中お見舞いを出すことが、
昔からの風習にあったのかもしれません。
無くても、人の気持ちだったのですね。
私は、これまで、失礼してきたこともあったと思い、
改めて、人の気持ちのありがたさを思いました。

きょうは、立春です。
雪国は、まだまだ、大変ですが、
どこかで、春へ動きだしている気がします。

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2011年12月12日

わかれ

わかれ

駅のロータリー
幼稚園のおとこの子とおんなの子
おかあさんたちが
 さよなら
 また あした
と手をふって
おんなの子の母子が
むこうへ歩きだした

そのとき
おとこの子が急に泣きだした

いまのかなしさを
どうしたらいいのか わからなくて
おおつぶのなみだを ぽろぽろこぼしている

おとなたちが
足ばやに過ぎていくなか

おとこの子は
声をあげて 泣いている


「いますぐがいい」より

こどものとき、親戚のようにお付き合いしていた奈良の人の家に
学校が休みになると、遊びに行きました。
姉や私と同じような歳の子がいて、よく遊びました。
春には、摘んできたつくしを、
すき焼きに入れるごちそうをしてくれました。
やさしかった、おじさん、おばさんでした。

こうして、何日か泊めていただき、帰る時がさびしくてならなかったのです。
心を残したまま、しかたがないものに引っ張られるように
うなだれて、電車に乗りました。
そして、涙ぐんでいました。

なぜ、この楽しい時間がずっと続かないのだろう。
おとなになったら、だれがなんといっても、
ずっと、別れない、たのしい日を過ごそうと思っていました。

この気持ちは、いまも同じです。
でも、さびしいのは、
そこに、優しいあたたかい時間があったからと、
おとなになって、思えるようになりました。

そして こんなさびしさを感じられる気持ちを
大切にしていきたと・・




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2011年10月17日

たの みつこさんの詩

下りロープウエイ   たの みつこ

大きくゆれて
遠足の小学生がさわぐ

―わがやのうめぼし
 そうゆうたらこわないねんて
 おばあちゃんがゆうてた

―なんでうめぼしなん?
―わからん

―わがやのうめぼし
―わがやのうめぼし
―わがやのうめぼし

かぶった運動帽が
紅白のうめぼしのよう

にぎやかにつめられて
ゆっくりと下りていく


詩集『眠れない夜は』(てらいんく)

「わがやのうめぼし」のおまじないを知っている方がおられたら
教えていただきたいです。
この詩のおばあちゃんのことばは、きっと真実の気がします。
いつか試してみたいです。(そんなときに会わない方がいいですが)
もし、試された方、お返事をくださいね。

たの みつこさんは詩誌「小さな詩集」の同人です。
竹を割ったように心地よく明るく、そして繊細な方です。

梅干しといえば、母は毎年、漬けてくれました。
いつも、大きなきれいな梅でした。
母は、梅だけでなく、お料理が上手でした。
材料は新鮮なものを選び、独創のお料理がいろいろありました。
いまになって、母にもっと教えてもらいたかったと思います。


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2011年09月07日

赤いバケツ

赤いバケツ    


小さな女の子が
おかあさんと
赤い小さなバケツをもって
砂場にやってきた
バケツをバサッとあけると
シャベル くま手 コップが落ちてきた

こどもは
砂のプリンを作りはじめる
おかあさんはそばで文庫本を読んでいる
赤いバケツに
やわらかな風が吹いている

――もう おひるねのじかんね
おかあさんと
小さな子は
バケツをもって帰っていく

バケツの中には
砂のトンネルを通り抜けた風や
ちらちらふりそそいでいたひかり
バケツのやわらかな時間が
シャベルといっしょに入っている



「ノート」より
台風の被害に合われた方に
心よりお見舞い申しあげます。
土砂崩れの一瞬のこわさを改めて思います。
一日も早い復興ができますように。

先日、家の前で、女の子がふたり、
ぬいぐるみのくまで、ままごとをして遊んでいました。

「この子も 仲間に入れてね」と
むかし、子どもが小さかったとき
あそんでいたぬいぐるみのくまを連れていくと
「わあ かわいい」と
いっしょに並べてくれました。

夕方、返しに来てくれたとき、
くまをみると、
くまのかおが、明るんでいるようでした。

くまも 久しぶりに遊んでもらって
うれしかったのですね。

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2011年07月24日

白いお砂糖

白いお砂糖
       ―わたしが小さかったとき  

ひとりであそんでいると
祖母が
おやつといって
半紙をおひねりにしたものを
渡してくれた

中には
白いお砂糖が入っていた
戦後間もないころ
白いお砂糖はぜいたくだった

あまい!
すぐになくなってしまわないように
少しずつなめる
紙がやぶれそうになるまでなめて
さいごは紙の味がした

いま 家には
白いお砂糖がいっぱいある
けれど こどものときの
どうしようもなくしあわせだった
白いお砂糖はない


「ノート」より
数日前から、風邪を引いてしまいました。
風邪は、ほとんど引かない私でしたが、
咳 鼻水、倦怠感にダウン。

昨日、家のチャイムが鳴りました。
防犯パトロールで、なかよしになった子どもの声(ときどきあそびに来ます)
――あす 遊びに来てもいいですか?

そういえば、いま 夏休み。
いつか 好きだというマカロニサラダを作ってあげる約束をしたのです。

――ごめんね。いま 風邪を引いているから
  また連絡するね。
と、断わりましたが、

早くすっかり元気になって、マカロニサラダの約束を守らなければ。

posted by YH at 18:54| Comment(2) | 詩(子どもの風景) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月08日

たべものいろはかるた

たべもの いろいろ いろはかるた  

い  いつか見た満月みたいなホットケーキ
ろ  ロールパンのふりして雲が流れていく              島村木綿子

は  春の味がする菜の花のおひたし
に  二個でひとつ友だちになろうよサクランボ            白瀧慎里子

ほ  ほっこり にっこり いものこ汁
へ  へぎそばは四角い箱ですまし顔                 白根厚子
     
と  飛び出した えんどう豆は 行ったきり  
ち  地球を抱かえるように すいか持つ               杉本深由起
   
り  りきまずに ぷりんはゆったり立っている
ぬ  ぬくもりを 両手もたのしむ缶コーヒー             たの みつこ

る  るるるるる エスカルゴ るるるるる       
を  ををををを もつれたもやし ををををを             はたちよしこ

わ  わすれていった かみなりさまのおへそ レーズン
か  かつおぶし 歌うなら えん歌です               檜 きみこ

よ  よもぎもち 河原の春風 つつみこみ
た  たこやきに 恋してゆらめくかつおぶし             みやもと おとめ



「ちいさな詩集」4号より
4月発行の「小さな詩集」4号は、
詩の他に「かるた」の読み札に挑戦しました。
「詩のある「かるた」」を子どもたちに手渡したいと考えてきました。

「あいうえおかるた」の多い中、
ふしぎなことば「いろはにほへと」のおもしろさを
書き手自身も感じなから、書いていきたいと思っています。 

posted by YH at 19:39| Comment(0) | 詩(子どもの風景) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月24日

雪の日

雪の日

まどをあけて
こどもが
ふしぎそうにいう
「ゆきだるま きていないね」

気づかないでいた
雪だるまは
ほんとうは 来てくれていたことに




『いますぐがいい』より
雪が降ると、ある先生のことを、思い出します。
詩人、評論家でもある関根弘先生のことです。
「列島」「現代詩」など詩運動のリーダーとして活躍されました。

晩年、関根先生は、詩の教室をもたれていました。
私は、友人に声をかけていただき、数人ほどの小さな教室で詩を学びました。
関根先生に学んだことは、今も、心に大切にあります。

その頃、関根先生は、地下鉄東西線の「西葛西駅」に住んでおられ、
偶然にも、以前の私の家から見えるほどのお近くでした。

ある日、東京が吹雪の日でした。
詩の授業が終わって、その日は、ご一緒に帰宅になりました。
西葛西駅を降りると、外は、一歩先が見えないほどの吹雪でした。
家までの数分に、私たちは、あっという間に、雪で真っ白になりました。

「先生、私たち雪だるまになりましたね」と私がいいますと、
先生は、吹雪で、目も開けられない中で、わらっておられました。
いまも、あの吹雪のことを、なつかしく思い出します。

関根先生に「白道」という詩があります。
「詩を読んで、お年寄りの方が、涙が出ましたといってくれたのです」
と、うれしそうに話されていた先生。先生も白道を行かれたのでしょうか。

今年は、まだ、東京に雪が降らないですね。

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2010年12月31日

くつ

くつ

バス停の
時刻板に
小さなくつの 片方が
かけられている

歩きはじめた子が
きょう はいたばかりかもしれない
うっすら 土を踏んでいる

子どもは
片方のくつのまま
母親に 抱かれ

どんな 明かりののもとへ
帰りついただろう

バスを待つ
人の列がのびていく

小さなくつを
いちばんまえにして



『また すぐに会えるから』より
今年も、あと残り少なくなりました。
今年1年間
私の拙いブログにお訪ねくださって、ほんとにありがとうございました。
とても励みにさせていただきました。
来年も詩を書き、ブログにも発表していければと思っております。

みなさまにとって、来年が、どうぞ いいお年でありますように。
そして、世界の子どもたちに、平和が訪れますように。

posted by YH at 18:03| Comment(2) | 詩(子どもの風景) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月27日

いちばのくろねこ

いちばのくろねこ   

一に いちばのくろねこが
二に にかいに のぼって
三に さんかくまどを のぞいたら
四に しろねこ みつけた
五に ごろごろ のどならし
六に ろくろく ごはんもたべないで
七に ななめに やねつたい
八に はちあわせの のらねこを
九に きゅうこうかで おっぱらい
十に じゅっかいてん しろねこのまえ



おめでとう      

ひとつ  1まい     ごませんべい
ふたつ  ふたり     ふたごだよ
みっつ  3こ      めろんぱん
よっつ  4わ      つばめのこ
いつつ  5ちょうめ   ケーキやへ
むっつ  6ぽん     ろうそくを
ななつ  7いろ     にじがでて
やっつ  8にん     おともだち
ここのつ 9かい     おめでとう
とう   とうかは    たんじょうかい


「ノート」より
昨日、小学校の下校時の防犯ボランテアで会う、子どもたちが家に遊びに来ました。
玄関で、手を後ろに回して、なにかを隠しています。
それから、「はい」と差出してくれたのは、
いっぱいのネコジャラシと小さな花を、
きれいな透明な紙で、包んだ花束でした。
野の花のプレゼントは、
心をほっと明るくしてくれました。
きっと 野の花が好きと思ってくれたのですね。
ありがとう!とても うれしかったです。



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2009年08月09日

かお

かお      

画用紙に
こどもがかおの絵をかく

目はぐるぐるに大きい
口は耳まであって
まゆげは
あっちとこっちにはなれている

それなのに
目は
どこまでも澄んでいる

ーーいいな

きょう 
わたしは
こどもの絵の
顔をしていたい



「ノート」より

今年も家の近くの林から、蝉時雨が聞こえてきます。
なにか、ほっとした気持ちになります。

「蝉時雨」という、日本のことばは、美しいですね。
でも、この時雨のなかで、
いつ、無数の中の、一匹の蝉が生まれ、消えていくのか
わからないでいることに、今年、はじめて気がつきました。

けれど、それだからこそ、
蝉時雨には、自然のままを受け入れる
やさしさがあるのかもしれません。

戦後、広島や長崎では
いつから、蝉が鳴き始めたのでしょうか。
蝉時雨の降る日本を、大切にしたいですね。

posted by YH at 18:53| Comment(4) | TrackBack(0) | 詩(子どもの風景) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月21日

プール

プール       


雲が話している

 子どもって うるさいね
 ばちゃ ばちゃ
 水を ひっくりかえしてばかり
 水面の しーんと
 張りつめた
 美しさを知らないね

ふうーと 
白いため息をついていたが
やがて
子どもたちがいなくなると

雲は
張りつめたプールを
しーんと 
背泳ぎしていく




「ノート」より


子どものころ、近くの山の、川の堰止めダムのようなところで
泳ぎました。
水の色がうすい緑色でした。

ときどきは 石の上でトカゲのように、身体をあたためました。
遊んでも、遊んでも、水の中は楽しいのですね。
やはり むかしむかし、人間は魚だったのですね。

小学生がプールの用意をして、登校しているようです。
梅雨の向こうは、夏ですね。

posted by YH at 10:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 詩(子どもの風景) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月06日

「四月」

四月

──いま
  「よんがつ」だよ
ちいさな子が おしえてくれた

四月の空が あかるい





『いますぐがいい』より


桜が満開です。
近くの公園に、お花見に行きました。
桜は、風に、ちらちら 散りはじめていました。
満開ということは、いっぱいで、あふれだすことなのですね。

はなびらは、粉雪のようでした。
子どものころは、粉雪が、よく降りました。
雪の降る気配だけさせて、消えてしまうのですね。
けれど、粉雪の中を、走り回りました。

いま、子どもたちは さくらふぶきの中を、
走っていました。

お花見をしている人たちをみていると
みんな 楽しそうでした。
人は、みんな、
しあわせになるために、生れてきているのだと
桜のなかで思いました。

来年も、きっと…

posted by YH at 09:57| Comment(3) | TrackBack(0) | 詩(子どもの風景) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月30日

「空」



青い空の
どこからか
おばあちゃんの声がする
「こんなに どろんこになって」

おばあちゃんは
小さかった わたしを
ひざに のせて
足を ふいてくれた

「鳥は 足をきれいにしているから
 空を飛べるんだよ」

かたくしぼったタオルを
おりかえし
おりかえしして ふいてくれた

足を バタバタさせて
じっとしていない わたし

「さあ もう だいじょうぶ」
背中を ポンとおされて
走りだすと
足は
まほうのように 軽かった

きっと
あのとき
空を 飛べたのかもしれない




『また すぐに会えるから』より


きょうは 青い空ですね。

posted by YH at 08:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 詩(子どもの風景) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月10日

りんご

りんご

わらっている
あかいりんごの
皮をむくと

りんごは なかで
白い
しんけんな顔をしていた




『そばにいるから』ドン・ボスコ社


街は、バレンタインデーのチョコレート戦線。
先日、防犯パトロールで、小学一年生の10人ばかりと帰る道、
一人の女の子が私のそばにくると、
「わたし チョコレートをあげたい子がいるの」と、そっという。
「いいね。だれかしら」というと、
「Aくん、でも、ないしょにしてね」という。

当のAくんは、前を歩いている。
Aくんは、女の子をいじめることもないし、にこにこしている。
同年の他の男の子より、すこし落ち着いているかなって感じがする。
それでも、やんちゃで、
私は、頭突きされたり、なぞなぞで逆手をとられている。

「ホワイトデーには、Aくんはクッキーをくれるかな」と私がいうと、
「もらわなくて、いいの」という。奥ゆかしく、かわいい。
(女の子は空手を習っている)

私はといえば、どの男の子にもあげたい。女の子にもあげたい。
義理チョコでない ほんとうのチョコレートが、
小学校の帰り道にありました。

posted by YH at 19:02| Comment(4) | TrackBack(0) | 詩(子どもの風景) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月09日

「白梅」

白梅

祖母は よく 針仕事をしていた
家族の靴下やシャツのほころびも
繕ってくれるのは祖母だった

当て布のついた靴下は
足のうらが ごろごろして
小さかったわたしは ぶつぶつ文句をいった

ある日 靴下を履くと
親指の先が 白い花のかたちに繕われている

──きれいね
わたしの声が祖母に
聞こえたかどうかわからない
祖母は針仕事をしていた

今年も 
白梅がほころびはじめる
まだ寒い空気の中に

新しい靴下を履いているわたしに





「ノート」より


以前、住んでいた家のそばに、ひとり暮らしのおばあさんがおられた。
一階の雨戸の半分を閉め、二階だけで ひっそり暮らしておられた。
庭も手入れされることもなかった。ある夕暮れ、家の前を通ると、
古木の白梅の花が咲いていた。雨戸のそこだけが滲むように明るかった。

これまで、梅の花をなんども見て来た。梅園にも行った。
けれど 梅の花をこんなに美しいと思ったことはなかった。

私は このときはじめて、ほんとうに、梅の花を見たのかもしれない。


posted by YH at 10:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 詩(子どもの風景) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月09日

「ジャングルジム」

ジャングルジム


── どこへいったかなって
   さがしにきてね
ちいさな子は そういって 
ジャングルジムに 入っていく

なかは迷路
みえているのに とどかない
行き止まっては くぐりぬける
けれど つきぬける明るい空

── いたね
── よかったね

おたがいに 走りまわり
やっと 出会えた
わたしたちは
手をとって よろこびあう



「ノートより」


どこまでも青く透き通った空。
冬にもこんな日があるのですね。
電車の中まで光が入り、車窓はダイヤモンドのように、輝いていました。
ふと、どこか知らない町の、ダイヤモンドの原石を抱いて眠る山を思いました。
いつまでも 原石のままでいい。
車窓は、こんなにきれいなのだから。
posted by YH at 18:29| Comment(4) | TrackBack(0) | 詩(子どもの風景) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月15日

「シュパ シュパ」

シュパ シュパ


幼い子が
ソーダー水を飲んでいる

口をすぼめ
顔をくしゃくしゃにしては

__シュパ シュパ シュパ
  シュパ シュパ シュパ

コップを
のぞきこんでいう

そばで 母親が
__はじめて 飲んだのよね
と おしえてくれた

はじめてのおどろき
わたしは
ずっと わすれていた



おとなになって、忘れそうになっているいっぱいのおどろきがある。
いつも はじめての気持ちでいたい。






posted by YH at 10:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 詩(子どもの風景) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする